自己紹介が遅れましたが、

1944年旧満州(奉天)に生まれ、
終戦後1947年に佐世保に引き揚げ、
鹿児島市立城西中、県立鶴丸高校を卒業しました。
  同郷、同窓の方いらっしゃいましたら、ご一報ください。

 先日、私の地元白島の小児科医の先生(78歳)を訪問したら、
 「私も満州奉天で育ち、妹が餓死したのがかわいそうで、
小児科の医者になろうと決心したのです。」とおっしゃいました。
「戦争」の悲惨さを今の若者に1人でも多く知ってもらいたい。
 (私も両親の話しか聞いていませんが)
この先生には、私の父が自費出版した「自分史」を
是非読んでいただきたいと思っています。

※上記の写真は、鹿児島の姉宅に満州からの引き上げ時、持ち歩いたヤカンです。
家族5人の命をつないだ記念品として大事に保管されてました。
 今は姉宅にあります。
 (2年前の母の7回忌、撮った写真です。孫・姉・私)