演説会がおこなわれました

8日、広島市の国際会議場で党演説会がおこなわれ、会場いっぱいの参加者がつめかけました。

山下よしき書記局長代行・参院議員の応援を受けて、皆川けいしと仁比そうへい両予定候補が力いっぱいうったえました。



皆川けいし参院広島選挙区候補は、あらためて、今度の選挙に向けた決意表明をおこないました。
その全文を紹介します。

私は1944年(昭和19年)、中国大陸にある旧満州奉天(現在の中国東北部)というところで生まれました。父は小学校の教師でした。日本が敗戦して、私達一家は2年後に、満州から長崎県佐世保に引き揚げ、郷里の鹿児島県の片田舎で私は幼少期を過ごしました。戦後の食糧難と混乱期で、そんな片田舎にも戦争の犠牲となった人がたくさん流れついてきました。今、テレビに映る難民の姿にそっくりです。私と同じ位の男の子の手を引いた、破れた衣服をまとった母子の姿を今でも忘れることはできません。

私の母は、そういう人たちにやさしい言葉をかけ、蒸かしたイモを分けてあげていました。そんな姿を見て私は育ちました。
「この世の中に貧富の差があっては絶対いけない!」「戦争は絶対いけない!」。これが私の原点となりました。
あれから65年以上経ちます。経済は成長したというけれど、一皮めくれば、貧富の格差は「当時とちっとも変わらない」と思う時があります。いま「アベノミクス」という?マネーゲーム?で、1兆円もボロ儲けする人がいる一方で、「おなかいっぱい食べさせられなくてごめんね」とメモを残して餓死する母子がいる…。あの頃とちっとも変ってないじゃないかと思うのです。

今、戦争を知らない世代が国民が8割を占めたと言われています。先日、福山市で平成生まれの若い保育士さんたちに、戦争の話をする機会がありました。「私が生まれた奉天には、731部隊というのが置かれ、そこでは多くの中国人や朝鮮人を『マルタ』と称して、人体実験をした。産まれて3カ月の赤ちゃんを、マイナス30度にもなる戸外に放り出して『凍傷実験』を行った。戦争というのは、決してかっこいいものではない。人間をケモノ以下に変える。それが戦争なんだよ。だから日本は、もう絶対に戦争する国になってはいけないんだよ」と話しました。みんなびっくりして聞いていました。
私は思いました。「この国ではいつの間にか、かつて日本軍が行った残虐行為や戦場の地獄の様子が正しく伝えられていないんだな」と。
今、あの日本軍がおこなった侵略戦争を「正義の戦争だった」「侵略ではなかった」などと叫ぶ政治家が増え、「力対力」で「軍備増強を!」という流れが意図的につくられています。あの戦争の残虐さを知る世代が今こそ立ち上がる時だと思います。「戦争は絶対にしてはいけない」「平和の力で世界に貢献できる日本になろう」と声を大にして立ち上がる時だと思います。
特に、戦争を知らない若い世代の皆さんに、先輩のこういう思いを受け止めてもらい、日本国憲法にあるように、この日本を「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して」、「国際社会において、名誉ある地位を占め」る日本の国を若い力でつくってもらいたい。

私は、そういう思いで、この選挙を全力でたたかいぬきたいと思います。

【事務所スタッフOより】