「母なる太田川」よ、よみがえれ!!

 広島労釣(勤労者釣りの会)25周年新春のつどいで、とてもいい話を聞きました。
 現在でも西区大芝在住で漁を生業としている太田川漁協の柚木さんの話。
 
 昭和30年代初め、まだ太田川放水路大芝水門もなかった頃の太田川は、水量も今の3倍位あり、両岸は芦原もたくさんあり、コイ、フナ、ハヤ、アユ、ナマズ、ウナギ、ドジョウ、モクズガニオヤニラミ、ギギュウ等々・・・。いろんな魚がすみ着いていて、
それらを獲って生業とする漁師がたくさん住んでいました。
今、放水路になっているところは、一面芦原の湿地帯で、ところどころにある沼は、これら魚の産卵場で、子ども達の釣り場となっていた。多いときは、無数のフナやコイがアップアップして網でいくらでもすくえた。オニヤンマ、ギンヤンマそしてヘビもたくさんいた。
6月頃になると満ち潮に乗ってシラウオが群れて上ってきてそれを両岸で四ツ手網ですくいとっては、舟のイケスに入れる。一舟で何斗も獲れていた。
シラスウナギ(ウナギの稚魚)も群れで上がってきた。下りウナギは、石を積んで中に入ったウナギをヒッカケでいくらでも獲れた。
当時は大芝には、20軒しか民家はなかったそうで、殆んど半農半漁で暮らしを支えていたそうです。
 その後、大芝水門が出来、放水路が出来、護岸工事が進む中で、芦原が減りエビや小魚の住みかが奪われ、産卵場所もなくなって、魚の姿が次々消えていった。水量も中電のダム取水で三分の一に激減した。

 柚木さんは言います。
太田川の再生は、まだ遅くない。残っている芦原を少し深く掘れば、小魚やエビも住めるし、流れ込む生活雑排も浄化できる。そうなれば自然に昔の魚も帰ってくる」と。

私の住んでいる白島北町公団住宅(都市機構住宅)は、この大芝水門のすぐ下流にある「長寿園」という昔からの太田川沿いの桜の名所です。5階にある私の部屋の窓を開けるとすぐ下を太田川が流れています。柚木さんの話の頃は、それこそ一面芦原だったところです。
今でも橋の下の護岸には、満ち潮になると、テナガエビが何匹も足元まで寄ってきて、孫と一緒に網ですくって自宅の水槽で飼ったことがあります。まだまだ太田川は生きています。
 広島に住む私たちにとっての「我らが母なる太田川」よ、よみがえれ!!