あらためて「住民の目線で・・・」とは何かを考える

 私は仕事柄「住民の立場」「住民の目線」ということをいつも念頭において活動しています。
しかし、「住民の目線で」ということはどういうことか!あまり深く考えたことがありませんでした。
毎日多くの人と対話してし、接するなかで「住民の目線とは」
次のようなことではないかと最近思います。

1つは、自分も「住民」の1人でであるだということを忘れないこと(当たり前のことですが)

2つは、物理的に同じ目線で話すことです。訪問するとどうしても相手が座り、こちらは立ったままで、どうしても〃上から目線〃で話すようになります。この時点で、すでに〃住民の目線〃は、壊れています。私はどんな家でも訪問したら必ず姿勢を低くして相手と同じ目線で話するようにしています。すると不思議に心が通い合うような会話になります。不思議ですね。

3つ目は、むずかしい言葉を使わないこと。
ここでいう「むずかしい」とは、「日常会話であまり使わない言葉」というい意味です。それこそ、井戸端会議的なやりとりで、今の政治の矛盾を語れるようになりたいと心がけてています。
4つ目は、相手の気持ちをよく受け止める度量が必要だということです。
対話の中でいろんな意見がでます。私たちはついつい対話の中で反論しがちですが、それでは心は通じません。何故そう思うのか、相手の気持ちになって考えてあげることです。そうすれば自ずと相手の気持ちがよく分かり、それに沿った対話をすることが出来るようになります。(要するに相手の気持ちをときほぐすということでしょうか。)

 今、私たちにとって国民と「溶け込む力」が問われていますが、私は、上記の4つを心がけながら多くの人と接しています。

 いつになってもうまく溶け込めないで反省ばかりです。
皆さんはいかがですか?